ヴィヴェーカーナンダの名言一覧

ねえ!この肉体が何が良いのですか?人々を助けに行こう。われわれの師はその臨終まで教えを説かれたではないか。そして私も同じことをしてはいけないのですか。肉体が滅び去ってもかまいません。真理を求めるまじめな求道者に会って話をするとき、どんなに私が幸福であるかあなたたちには想像もつきません。同胞たちの真我を目覚めさせる仕事のためなら、私は何度でも喜んで死にましょう!

神への私たちの愛が、この世にどんな善を為すだろう、などというような愚かな質問は決してしてはならない。世界のことは放っておきなさい。愛するのだ。疑問を挟まず、愛して、それ以上何も求めないことである。愛しなさい。そしてすべての「○○主義」を忘れるのだ。愛の杯を飲んで、酔いしれなさい。「私は『汝』のもの、おお永遠に『汝』のものです、おお主よ」と言って、他のすべてを忘れ、没入するのだ。

立ち上がれ。そして本腰を入れて全力で精進するのだ!この人生はあとどれくらい続くと思う?この世界に生まれてきたからには何かの印を残して死んでゆけ。そうしないのならば、お前と木や石の間に何の違いがあるか?木や石だって同じように生まれ、朽ち、死んでゆくのだ。もしそれらのようにただ生まれて死んでいきたいのなら、それはお前の自由だ。個人的な救済を得て何になるというのだ?それは全くの自己中心的考えだ。お前の瞑想など放り投げてしまえ!お前の救済など投げ捨ててしまえ!わたしが自らを捧げたこの仕事にお前の全身全霊を注ぐのだ。

たとえわずかな仕事だとしても、それが他者のために為されるならば、内に力が目覚める。他者に対してほんのわずかな善なることを思うだけでも、徐々に獅子の力がハートに注ぎ込まれるのだ。私はあなたたち皆を、本当に心から愛しているのだよ。だが、あなたたちには、他者のために働きながら死んでほしいと思っている。――いや、むしろ、そうして死んでいくあなたたちを、私は喜んで見たいと思っているのだ。

ドッキネッショルのバンヤンの木の下で、聖ラーマクリシュナと徹夜をした長い夜の思い出が、もう一度よみがえってきます。私は母なる神の子供です。母は仕事をし、遊びます。どのように計画を立てるべきだろうか。どんなことを計画するだろうか。事物ができては消えていきます。母が好むがままに。私が計画を立てているにもかかわらず、それにはお構いなしに。私たちは母の自動操作です。母は操り人形師なのです。

「前途に待ち受ける事態について、常にあれこれ思案を巡らす人は、どんな小さなことをも成し遂けることができないものなのだ。真実かつ善であると理解したことは、即座に実行せよ。将来、起こるか起こらないか分からないことを予測して、何の得があるのか?人生は極めて短いものなのだから、結果を予想して計算をし続けていたら、一生の間に何かを成し遂げることができるのか?成功を与えることができるのは、神のみである。すべての行為を神に預けよ。そのように(未来のことを)思案して、何の足しになるのだ?結果を顧みず、ただ働き続けたまえ。

イギリスの淑女シスターニヴェーディターがインド人のために下働きまでしてインド人に仕えることを学んだのを知らないのか?それなのにインド人のお前が同胞に仕えられない?伝染病や飢饉が発生するならば、人々が苦しんでいるならば、どこへでも行って彼らの苦しみを和らげるのだ。お前たちはその挑戦の渦中で死ぬだろう。それがなんだと言うのだ?一体どれほどのお前のような人間が、毎日ウジ虫のように生まれては死んでいる?世界全体からしたらそれがなんだ?死は必ず来る。だが、お前は命をかけてまで手にすべき偉大な理想を授かっているのだ。

まさに神のエッセンスは愛である。親猫が子猫をかわいがっているのを見たら立ち止まり、そして祈るのだ。神がそこに顕現しておられることを、文字通り信じるのだ。「わたしはあなたのものでございます。わたしはあなたのものでございます。」と繰り返しなさい。神はあらゆるところに見ることができるからだ。『彼』を探し求めるのではなく、ただ『彼』を見なさい。

「私はこう思っているんです。――世の中から苦しみをなくすために千回も生まれかわらなくてはならないというなら、千の生を引き受けよう――と。私がこれを行なうことによって、たった一つの魂でも、その悲しみから少しでも解放されるなら、私は必ずやります。自分一人だけ解脱をとげたとしてもそれが何になりますか?解脱した人は、その道に全ての人を導かなければ、何の意味もないのです。」

地上の神々――罪びとたちよ!人を罪びとと呼ぶことが罪なのだ。それは人間の本性への名誉毀損である。さあ、来たまえ、おお、ライオンたちよ。そして、自分は羊だという迷妄を振り落したまえ。あなたたちは恵まれた、永遠の、不死の魂であり、自由な霊性である。あなたたちは物質ではない。あなたたちは肉体ではない。物質があなたたちの召使いなのだ。あなたたちが物質の召使いなのではない。

エゴによってでっち上げられた世界を放棄しない限り、決してわれわれは、天の王国に入ることはできない。(エゴの世界を放棄せずに天の王国に入るなどということは、)かつて誰もなしたことはなく、これからも誰もなすことはないだろう。世界を放棄することは、エゴを忘却すること、つまりエゴを全く認知しなくなり、肉体の中に住みながらそれを全く認知しなくなることである。この下劣なエゴを、完全に消滅させなくてはならない。

ヴィヴェーカーナンダ

ヴィヴェーカーナンダ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda,ベンガル語:স্বামী বিবেকানন্দ Shami Bibekanondo,本名:ノレンドロナト・ドット(Narendranath Dutta,ベンガル語:নরেন্দ্রনাথ দত্ত Nôrendronath Dhat-tha)1863年1月12日 - 1902年7月4日)は、インドのヒンドゥー教の出家者、ヨーガ指導者、社会活動家。ラーマクリシュナの弟子・後継者であり、ラーマクリシュナ僧院とラーマクリシュナ・ミッションの創設者である。

引用:Wikipedia

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