過去の過ちを振り返るな。さあ、あなたは今日の自分の姿を信じるのか?今まで同じような過ちを犯してこなかったのか?己の過ちを祝福しなさい。そうすれば、それらは知らないうちに、天使になってしまっているだろう。理想にしがみつけ。前進し続けよ!ヴィヴェーカーナンダ
お前にわれわれの国の未来の希望がかかっているのだ。私は怠惰な生活を送っているお前を見ると猛烈な苦しみを感じる。仕事に取りかかれ!仕事に!遅れてはならない!死の時は日に日に迫ってきているのだ!すべては時がたてば達成されるだろうと考えて、のんびりしていてはならない!いいか!そのようにしていては、何も達成されないぞ!ヴィヴェーカーナンダ
一つの理想を決めなさい。その一つの理想であなたの人生を型作りなさい――そのことを考えなさい。それを夢見なさい。その理想に生きなさい。脳、筋肉、神経、あなたの肉体のすべてをその理想でいっぱいにしなさい。他のことは放っておくのだ。これが成就の道、偉大なる霊性の巨人を生み出す道である。ヴィヴェーカーナンダ
われわれが求めるものは、この信(シュラッダー)である。人と人の間に差を作るものは、この信の差以外の何ものでもない。ある者を偉大にし、またある人を弱く、卑しくするものは、この信である。この信を、あなたの一部にしなければならない。ヴィヴェーカーナンダ
私の信じる唯一の神、すべての魂の統一者、そしてとりわけ邪悪なる者として現われた神、苦悩する者として現われた神こそを私が礼拝できるならば、私は何度も生まれ変わり、数限りない苦しみを受けますように!ヴィヴェーカーナンダ
心弱く臆病な者たちは、大海の大波が立ち上がるさまにおじけづき、海岸の近くで声も出なくなる。本当の英雄は、そんな波などは全く気にとめない。何があろうと、わたしはまず自分の理想に到達するのだ!――これが、男らしい生き方である。このような男らしい生き方がなければ、いかに神からの助けがあろうとも、怠け心が消え去ることはないだろう。 ヴィヴェーカーナンダ
われわれが求めるものは強さである。ゆえに、自分自身を信じなさい。神経を強くしなさい。われわれの求めるものは、鉄のような筋肉と鋼のような神経である。もう十分長い間、悲しんできたのだ。もうこれ以上泣かなくて良い。だが、自分の足で立て。男らしくあれ。ヴィヴェーカーナンダ
なんびとも他人を欺いてはならない。たとえどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。あたかも、母がおのが一人子を命をかけても守るように、そのようにいっさいの衆生に対しても、無量の(慈愛の)心を起こすべし。釈迦
「世間の人々は、愛とは何であるかを本当に知っているだろうか?彼らはただ愛を見せびらかすだけです。師のみが、私たちを心から愛しているのです。」「ああ、私にはなさねばならない仕事があります。ヴィヴェーカーナンダ
われわれを閉じ込める堅固な壁は、エゴイズムである。われわれはすべてのものを自分自身に差し向け、私がこれやあれをやるのだ、などと考えている。この取るに足らない「私」を取り除きなさい。われわれの中にある魔性を殺しなさい。「私ではなく、あなたです」――このように言い、感じ、実行しなさい。ヴィヴェーカーナンダ
地上の神々――罪びとたちよ!人を罪びとと呼ぶことが罪なのだ。それは人間の本性への名誉毀損である。さあ、来たまえ、おお、ライオンたちよ。そして、自分は羊だという迷妄を振り落したまえ。あなたたちは恵まれた、永遠の、不死の魂であり、自由な霊性である。あなたたちは物質ではない。あなたたちは肉体ではない。物質があなたたちの召使いなのだ。あなたたちが物質の召使いなのではない。ヴィヴェーカーナンダ
完全に望みを捨てなさい。それが最高の状態である。そこに何の望みがあるというのか?望みという束縛を、残すところなく燃やしてしまえ。真我に立脚し、不安なく、自分が為していることの結果を決して気にせず、すべてを神にゆだねなさい。そして偽善的であってはならない。ヴィヴェーカーナンダ
たとえわずかな仕事だとしても、それが他者のために為されるならば、内に力が目覚める。他者に対してほんのわずかな善なることを思うだけでも、徐々に獅子の力がハートに注ぎ込まれるのだ。私はあなたたち皆を、本当に心から愛しているのだよ。だが、あなたたちには、他者のために働きながら死んでほしいと思っている。――いや、むしろ、そうして死んでいくあなたたちを、私は喜んで見たいと思っているのだ。ヴィヴェーカーナンダ
未来において、人々があなた方や私を認めて言うことや、あるいは反対して言うことに対して、耳を傾けてはならない。働き続けなさい。ライオンでありなさい。そうすれば、主はあなたを祝福してくださるだろう。私は死ぬまで、絶え間なく働き続けよう。そして死んだ後も、世界の幸福のために働き続けよう!ヴィヴェーカーナンダ
主に栄光あれ。われわれは成功するだろう。幾百人が、努力の半ばで倒れるだろう。――しかし幾百人が、喜んでその後を引き受けるだろう。命などはなんでもない。死などはなんでもない。主に栄光あれ!前進せよ!主がわれらの大将である。倒れた者を振り返って見るな。前進せよ!進み続けよ!ヴィヴェーカーナンダ
1粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただのひとつぶのままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛するものはそれを失い、この世で自分の命を憎むものは、それを保って永遠の命に至るであろう。イエス・キリスト
「わたしは不幸だ」などと言うことは『悪魔崇拝』である。皆が重荷を背負っているのだ。自分が不幸だと思うならば、それを乗り越えようとしてみろ。幸せになろうとしてみろ!常に心に喜びを保ちなさい。もし憂鬱な思考がやってきたら、蹴り飛ばしてしまえ。不安になる理由など存在しないのだ。恐れ知らずであれ。純粋になることが、自由への最短の道である。ヴィヴェーカーナンダ
神への私たちの愛が、この世にどんな善を為すだろう、などというような愚かな質問は決してしてはならない。世界のことは放っておきなさい。愛するのだ。疑問を挟まず、愛して、それ以上何も求めないことである。愛しなさい。そしてすべての「○○主義」を忘れるのだ。愛の杯を飲んで、酔いしれなさい。「私は『汝』のもの、おお永遠に『汝』のものです、おお主よ」と言って、他のすべてを忘れ、没入するのだ。ヴィヴェーカーナンダ
勇敢に進め。一日や一年で成功を期待するな。常に最高なる者にしがみつきなさい。不動であれ。嫉妬と利己性を避けなさい。真理に対して素直であれ。永遠に忠実であれ。そうすればあなたは、世界を動かすだろう。嫉妬は、奴隷となる原因である。それを常に避けなさい。ヴィヴェーカーナンダ
ドッキネッショルのバンヤンの木の下で、聖ラーマクリシュナと徹夜をした長い夜の思い出が、もう一度よみがえってきます。私は母なる神の子供です。母は仕事をし、遊びます。どのように計画を立てるべきだろうか。どんなことを計画するだろうか。事物ができては消えていきます。母が好むがままに。私が計画を立てているにもかかわらず、それにはお構いなしに。私たちは母の自動操作です。母は操り人形師なのです。ヴィヴェーカーナンダ
ねえ!この肉体が何が良いのですか?人々を助けに行こう。われわれの師はその臨終まで教えを説かれたではないか。そして私も同じことをしてはいけないのですか。肉体が滅び去ってもかまいません。真理を求めるまじめな求道者に会って話をするとき、どんなに私が幸福であるかあなたたちには想像もつきません。同胞たちの真我を目覚めさせる仕事のためなら、私は何度でも喜んで死にましょう!ヴィヴェーカーナンダ
キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。イエス・キリスト
「私はこう思っているんです。――世の中から苦しみをなくすために千回も生まれかわらなくてはならないというなら、千の生を引き受けよう――と。私がこれを行なうことによって、たった一つの魂でも、その悲しみから少しでも解放されるなら、私は必ずやります。自分一人だけ解脱をとげたとしてもそれが何になりますか?解脱した人は、その道に全ての人を導かなければ、何の意味もないのです。」ヴィヴェーカーナンダ
「前途に待ち受ける事態について、常にあれこれ思案を巡らす人は、どんな小さなことをも成し遂けることができないものなのだ。真実かつ善であると理解したことは、即座に実行せよ。将来、起こるか起こらないか分からないことを予測して、何の得があるのか?人生は極めて短いものなのだから、結果を予想して計算をし続けていたら、一生の間に何かを成し遂げることができるのか?成功を与えることができるのは、神のみである。すべての行為を神に預けよ。そのように(未来のことを)思案して、何の足しになるのだ?結果を顧みず、ただ働き続けたまえ。ヴィヴェーカーナンダ
宇宙の一切の力は我々のものだ。私たちは自分の手で自分の目をふさいで、暗いと言って泣いている。自分の周りに闇など存在しないことを知れ。両手を開けば、そこはもとからある光に満ちている。闇は存在せず、弱さも存在しない。弱いと言って泣くのは愚か者だ。清らかになれないと言って泣くのは愚か者だ。ヴィヴェーカーナンダ
イギリスの淑女シスターニヴェーディターがインド人のために下働きまでしてインド人に仕えることを学んだのを知らないのか?それなのにインド人のお前が同胞に仕えられない?伝染病や飢饉が発生するならば、人々が苦しんでいるならば、どこへでも行って彼らの苦しみを和らげるのだ。お前たちはその挑戦の渦中で死ぬだろう。それがなんだと言うのだ?一体どれほどのお前のような人間が、毎日ウジ虫のように生まれては死んでいる?世界全体からしたらそれがなんだ?死は必ず来る。だが、お前は命をかけてまで手にすべき偉大な理想を授かっているのだ。ヴィヴェーカーナンダ
母なる神の意のままに、一人漂うのが私の人生でした。それを破ろうとした瞬間に、まさにその瞬間に私は傷つきました。母の意思がそうしたのです。私は平和で幸福です。以前にも増してはるかに出家修行者として幸福です。私の親類縁者に対する愛は、日ごとに薄らいでいきます。母に対する愛は増していきます。ヴィヴェーカーナンダ
失敗を気にするな。それは自然なことだ。失敗――それは人生の美だ。失敗のない人生などあり得ない。もがき苦しむことがなければ、人生に意味はない。苦しみや間違いを気に病むな。失敗や小さな後退を気にするな。1000回でも理想にしがみつくのだ。そしてもし1000回失敗したら、さらにもう一度チャレンジせよ。ヴィヴェーカーナンダ
未来において、人々があなた方や私を認めて言うことや、あるいは反対して言うことに対して、耳を傾けてはならない。働き続けなさい。ライオンでありなさい。そうすれば、主はあなたを祝福してくださるだろう。私は死ぬまで、絶え間なく働き続けよう。そして死んだ後も、世界の幸福のために働き続けよう!ヴィヴェーカーナンダ
若者たちよ、私は君たちに、貧しい人々、無智な人々、圧迫された人々へのこの慈悲心、彼らのためのこの努力を残して逝く。『彼』の前にひれ伏して、大きな犠牲をささげたまえ。彼らのために――日々に沈んでいくこれら三億の人のために――全生涯を捧げるのだ。ヴィヴェーカーナンダ
波ではなく海を見よ。蟻と天使に違いを見るな。すべての芋虫はナザレ人(キリスト)の兄弟だ。どうしてある者は優れていて、ある者は劣っているなどといえよう?それぞれが、それ自身の場所において偉大である。われわれはここ、太陽と星々の中に存在している。ヴィヴェーカーナンダ
我々の心を決して変えないようにしよう。悪い言葉を吐かないようにしよう。また、相手を思いやり、慈愛の心を持ち、怒りの心を持たずにいよう。そして、その人に対する慈悲の思いで満たそう。また、慈愛の対象である一切の世界を、広く、大きく、無限で、恨みなく、怒りのない慈悲の思いで満たそう釈迦
エゴによってでっち上げられた世界を放棄しない限り、決してわれわれは、天の王国に入ることはできない。(エゴの世界を放棄せずに天の王国に入るなどということは、)かつて誰もなしたことはなく、これからも誰もなすことはないだろう。世界を放棄することは、エゴを忘却すること、つまりエゴを全く認知しなくなり、肉体の中に住みながらそれを全く認知しなくなることである。この下劣なエゴを、完全に消滅させなくてはならない。ヴィヴェーカーナンダ
立ち上がれ。そして本腰を入れて全力で精進するのだ!この人生はあとどれくらい続くと思う?この世界に生まれてきたからには何かの印を残して死んでゆけ。そうしないのならば、お前と木や石の間に何の違いがあるか?木や石だって同じように生まれ、朽ち、死んでゆくのだ。もしそれらのようにただ生まれて死んでいきたいのなら、それはお前の自由だ。個人的な救済を得て何になるというのだ?それは全くの自己中心的考えだ。お前の瞑想など放り投げてしまえ!お前の救済など投げ捨ててしまえ!わたしが自らを捧げたこの仕事にお前の全身全霊を注ぐのだ。ヴィヴェーカーナンダ
「腐肉を探す犬のようであるより、神を探して死ぬ方がましである。最高の理想を選び、あなたの人生をそれに捧げなさい。死は確実に来るのだから、偉大なる目的のために人生を捧げること、それが最高である。」ヴィヴェーカーナンダ
まさに神のエッセンスは愛である。親猫が子猫をかわいがっているのを見たら立ち止まり、そして祈るのだ。神がそこに顕現しておられることを、文字通り信じるのだ。「わたしはあなたのものでございます。わたしはあなたのものでございます。」と繰り返しなさい。神はあらゆるところに見ることができるからだ。『彼』を探し求めるのではなく、ただ『彼』を見なさい。ヴィヴェーカーナンダ
私はラーマクリシュナのしもべです。師は、なすべき師の仕事を私に残された。その仕事をなし終えるまで、私に休息は与えられません。ああ、私は師のことをどのように話せばよいのだろう。私に対する師の愛を!ヴィヴェーカーナンダ
日々の必要な思考は、すべて神を通じて行なうとよい。神のために食べなさい。神のために飲みなさい。神のために眠りなさい。すべての中に神を見なさい。他者には神の話をしなさい。これらは最も有益である。ヴィヴェーカーナンダ
私たちが取り除かねばならないのは、利己主義です。私は人生において過ちを犯したときはいつも、打算的になった自我のせいだと思っています。自我が入りこまなかったところでの私の判断は、目標に向かって真っすぐに進みました。ヴィヴェーカーナンダ
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、使える者となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、しもべとならねばならない。それは人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人があがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じであるイエス・キリスト