名言について
ここでいう「遠慮」は、先々まで見通して慎重に考えることです。先を考える習慣があれば、自分に分からないことは人に相談するようになり、それがよい判断につながると信玄は説いたとされます。
関連名言
大ていは地に任せて肌骨好し、紅粉を塗らず自ら風流
明日は其の方、旗をば瀬田に立て候へ
三年の間、我死したるを隠して国をしづめ候へ
果報に年をよらする物は、身をかざり、栄耀にふけり、おごり、是三ヶ条也
国持大将、人を使ふに、ひとむきの侍を好き候て、同じ行儀作法の人ばかり念比して召し使ふこと、信玄は大に嫌ひたり
渋柿を切りて木練を継ぐは小身なる者のことわざなり。国持人は、なおもって渋柿にて その用所達すること多し
一つには分別ある者を佞人と見る、二には遠慮の深き者を臆病と見ん、三にはがさつなる人を兵と見ん。是大なるあやまりなるべし
一日に一様聞くとも一月には三十ヶ条の事あり。いはんや年中を申さば三百六十ヶ条、去年の我等に今年は又はるばる増ならん
人の学ある、木の枝葉あるが如し。学と云ふは物をよむばかりにあらず、おのれおのれが道々に付てまなぶを学とは申也
武田信玄について

武田信玄(1521-1573)は甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名で、名を晴信といいます。1541年に父・信虎を駿河へ追放して家督を継ぎ、信濃の大半を支配下に収め、越後の上杉謙信とは川中島で幾度も戦いました。分国法「甲州法度之次第」の制定や、信玄堤に代表される治水などで領国経営にも力を注ぎました。1572年に西へ兵を進めて三方ヶ原で徳川家康を破りましたが 、翌年、陣中で病に倒れ亡くなりました。
引用:Wikipedia






























